羽生結弦選手を支え続けてきた整体師・菊地晃さんとはどんな人?
平昌五輪後そばにいないと話題に!
チーム羽生を離れた理由は追放ではなく引退でした。
羽生結弦選手と整体師・菊地晃さんの絆や菊地晃さんがいない理由、チーム引退決意までの経緯についてまとめました。
Contents
羽生結弦が整体師不在で不調?
2月6日~9日に開催される「四大陸フィギュアスケート選手権」で優勝が期待される羽生結弦選手。
羽生選手といえば、最近は不調が続いていてかなり追い詰められているといった報道も出ています。
グランプリファイナル<2019年12月>:銀メダル 全日本選手権<2019年12月>:銀メダル |
世界選手権、グランプリファイナルではネイサン・チェン選手、そして全日本選手権では宇野昌磨選手に敗れています。
【全日本選手権】羽生結弦2位、V宇野昌磨を称える「初めてちゃんと負けた」https://t.co/ETfneuMP8q
— ライブドアニュース (@livedoornews) 2019年12月22日
「言葉が見つからない。すいません。もうなんか分からないです」。直接対決では初めて敗れたが、今季の苦戦も見てきたため「スケートに集中できてるなって。見ていてうれしかった」とも語った。 pic.twitter.com/do6XvmSJAE
グランプリファイナルでは、ネイサン選手と43.87点差という大差に。
【GPファイナル】羽生結弦が2位に 優勝はネイサン・チェンhttps://t.co/P91jUv3ALa
— ライブドアニュース (@livedoornews) 2019年12月7日
首位との12.95点差を追いかけて臨み合計291.43点で2位。チェンは335.30点と世界最高記録で3連覇を飾った。 pic.twitter.com/pUAv9EHyGy
銀メダルでも十分素晴らしいと思いますが、常に完璧を目指す羽生選手にとっては、自分の納得のいく演技ができなかったことで本当に悔しい思いをしてきたと思います。
2020年2月6日のポストセブンでは、不調の原因の1つが、ずっとともに過ごしてきた整体師Aさんがいなくなったからだと報じられています。
「不調の原因の1つは、信頼していた整体師Aさんが彼の側からいなくなったからだといわれています。Aさんは小学2~3年生の頃から羽生選手を見守り、平昌五輪をはじめ海外にも必ず帯同していましたが、平昌五輪後に『チーム羽生』を離れたのです」
引用元:ポストセブン
羽生結弦の整体師・菊地晃とは?
報道にあった整体師Aさんは、菊地晃さんという方です。
引用元:https://jisin.jp/sport/1656952/
菊地晃さんは、仙台市で「寺岡接骨院きくち」を営んでいて、タイ古式マッサージやリフレクソロジー、遠絡療法などを施すことができるそう。
菊地晃さんは
・専属トレーナーとして世界選手権など海外の試合にも帯同 ・ソチ五輪、平昌五輪にも帯同 |
と15年近くに渡り羽生選手に寄り添ってきました。
幼い頃からずっと羽生選手のそばにいるので、フィジカル面、メンタル面ともに些細な不調を読み取ることができるといいます。
ジャンプの踏み切りで羽生選手の調子を見抜き、その日の調子に合わせて1ミリ単位でテーピングを施すことも。
いつも自らを追い込み戦う羽生選手を心身ともに支えていた菊地晃さん。
羽生選手にとっては整体師を超えて師弟ともいえるほど、支えになっていたそうです。
羽生選手がオリンピック2連覇を成し遂げて絶対王者になったときも
「あいつが金メダリストであろうが、国民栄誉賞を受賞しようが、結弦は結弦です」
引用元:https://jisin.jp/sport/1656952/
と家族同然の存在でした。
そんな菊地晃さんですが、平昌五輪が終わった後から姿が見えなくなったと話題になりました。
平昌五輪後の4月にチーム羽生を辞めたとご本人自ら語っています。
一体何があったのでしょうか?
羽生結弦の整体師・菊地晃がいない理由は追放?
菊地晃さんが羽生選手の元からいなくなった理由について、追放では?という報道も出ています。
羽生結弦の母ともめた?
菊地晃さんは光文社から『羽生結弦 心と体の整え方~強く美しく鍛える20のヒント』という本を出版予定でした。
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しかし、菊地さんと出版元は日本スケート連盟と羽生選手の母親に了解を取っていなかったため出版が延期となったそうです。
この件で羽生選手の母親と揉めてしまったと言われています。
ただこの件について光文社の担当者は、出版が中止となった理由は「編集作業上の理由」でトラブルではないと否定しています。
延期の真相は分かりませんが、もし本当に了解を得ていなかったとしても、羽生選手にとってデメリットになるとは思えません。
チームを離れなくてはいけないほど揉めるきっかけになったというのは、ちょっと考えづらいですよね。
チーム羽生での孤立?
幼い頃と違い、今や羽生選手の周りにはご両親以外にコーチ、所属するANAの指導陣、スケート連盟の人たちなど多くのスタッフがいて「チーム羽生」として機能しています。
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スケート専門の人たちがたくさんいる中で、フィギュアの専門家ではない菊地晃さんが羽生選手に指示をすることについて、チーム内で様々な意見が出ていたという話も。
確かに菊地晃さんは、フィギュアスケートの専門家ではありません。
しかし15年以上も羽生選手のそばに寄り添い、支えてきたのは事実です。
整体という技術以上に精神的な面で羽生選手の支えになってきたと思います。
皆プロなので色んな意見が出るのも仕方ないと思いますが、長年力になってきた人を追い出してしまったら、何よりも羽生選手に影響を与えてしまいます。
チーム一丸となって戦うメンバーがそんなことをするとは思い難いですよね。
羽生結弦の整体師・菊地晃は引退だった
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羽生選手の元を離れた理由について、後日、菊地晃さんご本人がインタビューに答えました。
それによると、菊地晃さんご自身が年齢の限界を感じたため引退を決意したといいます。
引退を決意するまでの経緯について見ていきましょう。
ソチでは失敗の連続だった
菊地晃さんは羽生選手のテーピングを担当していますが、テーピングはスケート靴を履くごとに毎回巻き直す必要があります。
いつも1日1回練習するので、ソチに行った時もそのつもりでテーピングの準備をしていった菊地さん。
しかしソチでは1日2回ずつリンクを滑るため、テーピングがあっという間に足りなくなってしまいました。
慌てた菊地さんは、慣れない英語とジェスチャーを駆使しながらソチの薬局やスポーツ店を駆け回って搔き集めたそう。
さらに焦りが募って、テーピング開始時間より40分も早く羽生選手の部屋に行ってしまったりと失敗の連続。
結果は金メダルでしたが、本来の力を出し切れなかったことに羽生選手はもちろん、菊地さんも満足ができませんでした。
金メダルフィーバーでメディアからの依頼が殺到したそうですが、自らの失敗がみっともなくて取材はお断りしたそうです。
世界が注目する羽生選手に寄り添いながらも、正体が分からないミステリアスさに「オカルト」とか「チャクラ仙人」といった報道も出ました。
しかし失敗を糧に一から勉強し直すと決意した菊地さんは、そんな声は気にならなかったといいます。
栄光の金メダルの舞台裏ではこんなトラブルが起こっていたんですね!
それにしても滑る回数って事前に伝えられないものなのでしょうか・・・。
平昌五輪後に引退を決意
ソチでの失敗を糧に一から勉強し直したという菊地さん。
平昌五輪ではテーピングの準備はもちろん、一回で完璧な状態で巻き終えられるようになっていました。
ウォーミングアップも羽生選手の調子に合わせ微細な調整をしたり、トレーナーとして万端の体制で臨みました。
そして羽生選手は見事2連覇!
羽生くんの23歳。平昌で悲願のOP2連覇、コンテニュー金メダル報告ショー、約11万人の人と祝った仙台凱旋パレード、58万人が見た羽生結弦展、国民栄誉賞、ルール変更前も後も世界最高得点記録。私たちは凄いことに立ち会ったんだね。#羽生結弦誕生日前夜祭#いつもYUZUが好き#GetWellSoonYuzuru pic.twitter.com/FIFmnvktkM
— あっちゃん元気!目指せ夢の4A! (@ayadayo0114) 2018年12月6日
終わった後は、羽生選手から「これからもよろしくお願いします」と声を掛けられたそう。
しかし、この時すでに菊地さんは引退を決意していました。
五輪直後、『先生、これからもよろしくお願いしますね』と結弦は言ってくれました。でも、足を引っ張りたくなかったんです。結弦は最高の演技のために、1分、1秒も狂わないような、完璧なルーティーンを組んでいます。
ただ、僕は、それを調整するトレーナーとして年をとり過ぎました。まだまだ進化していくあいつの足をひっぱりたくなかったんです
引用元:yahooニュース
1分1秒の狂いが影響を与えてしまうかもしれない。
羽生選手にこれからも世界のトップアスリートとして進化し続けてほしい。
その思いで自ら引退を決意したんですね。
どんなにスゴ腕の人だって年齢を重ねれば思うように動けなくなってしまいます。
1分1秒の世界でトップアスリートを支える立場だからこそ、自らの衰えを認め、勇退を選んだ菊地晃さん。
羽生選手のご家族やチームの方との人間関係ではなく、ご自身で判断された行動だったのですね。
羽生結弦が四大陸フィギュアスケート選手権で優勝
不調が心配されていた羽生選手でしたが、2020年2月6日から開催された「四大陸フィギュアスケート選手権」では圧巻の演技を見せてくれました!
【四大陸選手権】羽生結弦、令和版「SEIMEI」で優勝https://t.co/XfTyu9jMWR
— ライブドアニュース (@livedoornews) 2020年2月9日
ミスがあったものの187.60点をマークし、合計299.42点で優勝。男子初の6冠「スーパースラム」を達成した。 pic.twitter.com/cptfwXgB73
大会直前に平昌五輪の楽曲に戻し、SP(ショートプログラム)では世界最高得点の111.82点を記録。
さらにフリーでは、鮮やかにジャンプを決め187.60点を出し、299.42点で見事優勝!
世界ジュニア選手権、ジュニアグランプリファイナル、オリンピック、世界選手権、グランプリファイナル、四大陸選手権全てを制覇する「スーパースラム」達成と素晴らしい結果になりましたね。
菊地晃さんが願った”世界のトップアスリートとして進化し続けてほしい”という思いを体現した瞬間だったように思います。
すぐそばにいなくても、師弟の絆は永遠ですね。
羽生結弦の整体師・菊地晃がいない理由は?追放ではなく引退だった【まとめ】
引用元:https://the-ans.jp/news/96449/
羽生選手のトレーナーであることを決してひけらかすことなく、15年支え続けた菊地晃さん。
長い間そばで支えてくれた人が離れてしまった不安を乗り越え、進化した姿を見せた羽生選手。
お互いを尊敬しているからこその深い絆を感じました。
菊地晃さんとともに、これからも羽生選手の進化する姿を応援していきたいですね!
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
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